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巻の四十五 手裏剣を打つ
三重大学人文学部准教授(三重大学国際忍者研究センター担当教員)高尾善希
忍者といえば手裏剣だ
一般的には、忍者といえば、手裏剣が連想されます。その連想の中の手裏剣は、星形の手裏剣であることが多いと思います。しかし、その反面「忍者は手裏剣を打たなかった」と説明されることがあります。これらの問題は、忍者に関する一般的な連想についてのことなので、忍者学にとって重要な話題です。そのあたりの詳しい事情を、あまり説明する機会がありませんから、改めて、ここに説明しておきたいと思います。
手裏剣とは
まず、手裏剣を投擲(とうてき)することを「手裏剣を打つ」と表現します。この手裏剣というのは、どのような形状のものかというと、普通は、棒手裏剣、つまり棒形ではないかと思います。この棒手裏剣とは、棒になっていて、刺さる部分が尖っています。これを手のひらに乗せて、後部を親指で抑えて打ちます。
徳川幕府の旗本で橋本敬簡(ゆきやす)という人物がいます。家禄150俵の旗本で、「経済随筆」という随筆を書き残しています。小野武夫『近世地方経済史料』(吉川弘文館《復刊版》、1987)第1巻「経済随筆」として紹介されています(元の版は昭和7年[1932]刊行)。橋本は家禄150俵から出発し、職禄1000俵まで加俸されました。
家禄150俵の家といっても勝手不如意という場合もあり、生活の苦しい武士がどのように生活するかという観点で「経済随筆」を書いています。その文脈で「手裏剣」という道具が出てきます。
「常に座右に手裏剣めつぶし様のもの用意すべし、目つぶしは種々法あり、軽きのは玉子へ穴を明け松脂の粉をつめ眉間へ打なり、又夫より手早きは灰を半紙杉原様なものに玉子程に包み結び置打付れば、紙破れ灰目顔にかゝりよき目つぶし也」
手裏剣が、目潰しなどと同じように、敵に不意に襲われた際の武具として、「常に座右に」置くべきものとして位置づけられています。下僕を雇うことができない勝手不如意な武士にとって、こうした日常の武備は必要であるというのです。おそらく、手裏剣は、目潰しと同じように、ありふれた日常的な武器のひとつと考えた武士もいたのでしょう。忍者も武士の一部ですから、忍者が手裏剣を使ったとしても、まったく不思議ではないのです。
忍者は手裏剣を打ったか
しかし、忍者が実際に手裏剣を打ったとする史料が、なかなか見つからず、あっても少数でしょう。忍者と手裏剣の関係について論及する際は「忍者にとって、手裏剣は必須の道具というわけではなかった」くらいの表現に押さえておくのが妥当かと思います。
また、手裏剣は忍術書に頻出するわけではありませんけれども、忍術書に星形の手裏剣の記載があるにはあるのです。星形のものがおもしろいので、映画や漫画で、よく描写されるようになったのではないかと思います。
武器に詳しい研究者の方が、講演会において、星形の手裏剣のことを「持ち方がわからない」と仰っていたことは、印象深く感じられました。なるほど、棒手裏剣の場合、尖っている方とは反対の方を親指で挟みますので、持ち方は簡単ですが、星形の手裏剣の場合、どう持てばよいのかわかりません。そのため、映画や漫画では、手裏剣を掌に重ねて持って機関銃のように連射するのでしょう。しかし、これも非現実的であって、―これを真面目に論評する価値があるのかどうかわかりませんが―、手を怪我してしまうのではないかと思われます。
なお、山田雄司先生は、『忍者の歴史』(KADOKAWA)の中で、投げ松明も手裏剣であった、と指摘しています。これは、いままで言及してきた手裏剣とは、だいぶ印象が違います。忍者にとって(武士にとって)、打つ(投げる)モノが「手裏剣」なのだということになります。だから「忍者が手裏剣を投げたか」という問いかけよりも、「忍者(武士)はなぜモノを投げるのか」という問いかけの方が、武備一般のあり方の議論にも繋がりますから、はるかに学問的興趣のある問いかけのように思われます。