Shinobi Hataraki by Yoshiki Takao

高尾善希の「忍び」働き

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巻の三十八 世代論

三重大学人文学部准教授(三重大学国際忍者研究センター担当教員)高尾善希  

世代を表す言葉

 ことし齢50を迎えました。そのためなのか、「むかしの老人」のことを、なつかしく思い出します。ここでいう「むかしの老人」とは、むかし固有のもので、いまはおりません。

 いまの所謂“老人”は、インターネットにおいてSNS をやったり株のとりひきをやったり、パチンコなどの流行りのギャンブルもやっているから、若者文化と地続きで、「むかしの老人」と同じではありません。私の想う「むかしの老人」とは、明治の老人のことです。

 「降る雪や 明治は遠く なりにけり」というのは、俳人中村草田男の句です。しかし、いまは令和になり、すでに平成も昭和も、遠くなりましたから、明治などは、世の人びとの感覚としては、もはや、平安や鎌倉などと同じと言っても過言ではないでしょう。

 世代論を表す言葉として、明治は、ある種の生々しさがあります。私の世代は、子どものころ、明治生まれの老人と接してきました。私の感じた曾祖母(明治30年[1897]生まれ)に対する違和感は、それを言語化すると、おそらく立派な歴史の論文になるでしょう。たとえば、私の子どもの頃、頑固な老人をみては、「あのひとは、明治のひとだから」「明治気質だね」などと、よく言ったものです。ご記憶の方も多いでしょう。

 大正はどうでしょうか。大正は15年間しかありませんが、特に男性でいえば、大正生まれは戦争の徴兵でさんざんの目に遭った世代で、言語を絶する体験をし、ほかの世代への伝わりにくさに、悶々とするひともいます。また、昭和も世代を表す言葉となっていて、前時代を表すニュアンスを含む、「昭和っぽい」「昭和時代」などの言葉があります。

 明治の前の世代は、旧幕(「旧幕府」の略)と言いました。これは、いまでは馴染みのない言葉ですけれども、江戸時代、徳川時代のことをさします。特に、天保生まれであれば、「天保の老人」という言葉もありました。

 この旧幕にせよ天保にせよ、昭和の人びとからみた明治と同様に、頑固ものと映ったようで、夏目漱石の『吾輩は猫である』にも、「旧幕老人」(という言葉がありました)が、半ば戯画的に言及されています。つぎの文章はその「旧幕老人」の言い分の一例です。「旧幕老人」は新しいものを否定しがちです。

 

「ほんとにこの頃のように肺病だのペストだのって新しい病気ばかり殖ふえた日にゃ油断も隙もなりゃしませんのでございますよ」「旧幕時代に無い者に碌ろくな者はないから御前も気をつけないといかんよ」

 

スマートフォンのない時代

 もちろん、世代論は元号などばかりではありません。私は、大学では「忍者の歴史」なる妙な講義を講じております(三重大学人文学部「忍者の歴史」)。そこで、忍術の説明をする際に、当時において存在した素朴な道具で、なるべく効率的になる忍器を制作していた、ということを指摘いたします。

 けれども、デジタル機器にとりまかれている学生さんにとっては、便利の極地の社会に生きていますから、その点、想像しにくいところです。

 そこで、いまの大学生の皆さんに、「スマートフォンのない時代に、どうやってひとと待ち合わせをしたのか?」という質問をしたことがあります。前述の「昭和っぽい」時代をよく知っている世代ならば、スマートフォンのない時代は当たり前であって、「〇〇市からお越しの◯◯さん、お連れさまの◯◯さんが、◯◯でお待ちになっております」などという駅のアナウンスや、駅の伝言板や、ポケベルなど、よく承知しているところです。1988年から1992年に展開していた、東海道新幹線の「クリスマスエクスプレス」のCMでは、会いたいけれども会えない恋人同士の焦燥が、テーマになっていました。

 スマートフォンのない時代で人間が右往左往しておりました。忍術書を読むことでも、人間社会は道具や技術に規定されているという事実を、まざまざと再認識することができます。世代論では、日常生活のありようも、とりあげやすい話です。平安・鎌倉という政治史による区切りではなくて、道具をはじめとする生活史による区切りも、立派な時代区分になりえます。

「万川集海」(国立公文書館所蔵)にみる水蜘蛛の例。さほど複雑な構造をしているわけではない。

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