Shinobi Hataraki by Yoshiki Takao

高尾善希の「忍び」働き

ホーム伊賀忍者高尾善希の「忍び」働き巻の二十五 忍者とは何か

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巻の二十五 忍者とは何か

三重大学人文学部准教授(三重大学国際忍者研究センター担当教員)高尾善希    

「忍者とは何か」という問い

 今年度一年間は、私の職場のひとつである三重大学国際忍者研究センターや忍者の話題を中心に書いていこうと思います。

 忍者は、情報探索・斥候(軍事偵察)・奇襲・守衛などの「忍び」働きをもっぱらとする下級戦闘員です。戦国時代はさまざまな身分のひとが集まっていた可能性がありますが、徳川時代は幕府や藩の下級武士身分に編入されていました。

 ここでは、「忍者とは何か」という問いについて、考えてみたいのですが、それは、忍者の仕事が云々、などという細かい蘊蓄(うんちく)についてではなく、忍者という存在の考え方・価値観についてです。

 たとえば、平山優さんの『戦国の忍び』(角川新書)によると、戦国時代は盗賊団が数多く治安を乱していましたから、大名などは彼らを傭兵として「忍び」働きの戦闘集団として使うことが多かったとしています。むろん、忍者すべてがそのような人びとであったわけではないでしょうけれども、武士社会の認識としては、忍者の担当する「忍び」働きは、武士らしくはない、汚れ仕事といえば言い過ぎですが、いささか位の落ちた軍事行為であった、とはいえるかもしれません。

皆が見ていてこそ武士の働き

 この「忍者とは何か」という問いについて、参考になるのは、武士社会一般における名誉意識について、です。

 武士はだいたい見栄っ張りな人びとで、家中(世間)の評判を常に気にしており、彼らの行動は、それに規定されます。

 たとえば、当主が川で溺れて死んだらその家は改易、戦場で腹痛をおこして動けなかったのであれば、「臆した」(ビビった)と言われて切腹、というのが武士の社会です。これらは、家中(世間)の目からみて、みっともないからです。逆に、衆人の目のもとで、華々しい戦果をあげて、立派な武士の首でもとりさえすれば、家中(世間)の賞賛を得て、主君から大きな褒美を頂戴することでしょう。

 大坂夏の陣において、徳川方の松平定実という武将が、持ち場から離れたというかどで、主君の徳川家康から叱責されて、蟄居(ちっきょ)を命じられています。しかし、同じく徳川方の伊達政宗が、定実に「あなたが戦って手柄をあげていたことを知っている、誰から尋ねられてもあなたを弁護する」と言ったそうです(「大坂夏の陣に参陣、松平定実の功績伝える」産経新聞 2016年3月29日)。賞罰は、かならずしも、主君ひとりと家臣ひとりの間だけで成立するわけでもなく、賞罰を家中の間で確認しあい、手柄をあげるにも、その場にいた証人を記録することもあります。

 大名行列も見物人の手前、自らの威信を誇示します。大名が、採算を無視して、自らの行列を美々しく飾り立てることも、家中(世間)の目を気にする武士としてのメンタリティからきています。

 つまり、武士は「目立ちたがり屋」であり、名誉意識の強い人びとなのです。

皆が見ていないところで功績を

 徳川時代に入ると、忍者は歴とした下級武士団に編入されます。すると、隠れて活動するという彼らの仕事内容と、前述の武士としての「目立ちたがり屋」の名誉意識とが、矛盾することになります。そこで、その矛盾に対し、代替的な道徳を忍術書は提起します。

 忍術書『万川集海』には「よき忍者は抜群の成功なりといえども、音もなく、嗅もなく、智名もなく、勇名もなし」とあります。「よい忍者は抜群の功績があっても、音も匂いも、知恵者であるとも勇者であるとも褒められることはない」。また、同じく忍術書『当流奪口忍之巻註』には「恥を厭わず、死をさけ生を忍ふなり」とあります。「恥を受けることを嫌がらず、名誉ある死を避けて生き恥をさらすのを我慢する」。

 見えないところで功績を挙げることをよしとすること、名誉ある死よりも恥ずかしい生を選択することなど、「目立ちたがり屋」の武士としては、嬉しいことではありません。しかし、忍術書は、あえて、それでもよいのだと、普通の武士にはない価値観を強く主張しています。これが、価値観の側面からみた、忍者の特殊性なのです。

中島篤巳『完本万川集海』(国書刊行会、2015)

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