Shinobi Hataraki by Yoshiki Takao

高尾善希の「忍び」働き

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巻の二十四 研究者じゃない私

三重大学人文学部准教授(三重大学国際忍者研究センター担当教員)高尾善希   

お金にならない研究

 今年度は私の諸研究をならべて紹介いたしました。いろいろな研究をやってきたもので、今年度12回分を費やしても、私の研究すべてを紹介することはできませんでした。最後に、研究と家族の関係の話をして、このシリーズの結びとしたいと思います。

 この稿で紹介しましたように、三重大学に赴任する前、東京都宅に義母と妻と私と子ども4人(すべて男の子)の、計7人で生活しておりました。しかし、その家計の支え手である私は、お金稼ぎになる研究もあるけれども、お金稼ぎにならない研究に、数多く手を出していました(人文系の研究はお金稼ぎになりにくいのです)。そのため、つい、お金稼ぎがお留守になり、しかも、逆に、研究道具としての書籍ばかりが増えていきますので、常に、義母も妻も、これらの状況には不満で、怒り心頭でした。かように、研究と家族の両方を堅持するのは難しいことでした。

 むろん、妻も私の研究にまったく無関心であったわけではありません。妻は、私と結婚するときの条件に、私に博士号取得を課しました。その約束通り、2004年に、博士(文学)の学位を取得しました。博士学位論文は論文11本を収めた『近世後期百姓の社会史的研究―百姓の社会関係と地域秩序―』というものでした。

次男とのお散歩

次男のつくったブロック

 そのような中、私の家族サービスの面での数少ない殊勲は、次男の世話でした。

 ながいこの稿で、まったく言及していませんでしたが、次男は自閉症で、そのうえ、重度の知的障がいを抱え、問題行動も多くありました。

 この次男に、社会生活を訓練させるために、あるいは、家族の負担を軽減させるために、毎週の土曜日・日曜日と祝日の休日に、私は、次男をつれて外出して、お散歩に出かけなければなりませんでした。電車やお店で、おとなしくすることを教えるためです。

 休日は、本来ならば、学会・研究会などに出かけ、自分の研究に時間を割くべき日なのですが、たいてい、次男の世話で時間が潰れました。……そういうわけで、私は、研究者としてはかなりのハンディを負っていました。私が早めの時間に起床して、勉強時間を確保したことについては、前稿において触れましたが、それは、このような事情もあったわけです。

 しかし、次男とのお散歩というこの仕事を通じて、現代社会の特徴について、あらためて考えざるを得ませんでした。自閉症は「約束ごと」を守ることが不得手です。現代社会は、「信号機が赤になれば止まろう」とか、「電車の踏切りでは棒が降りれば止まろう」とか、ことのほか、「約束ごと」の多い世の中なのです。これら「約束ごと」は、健常者にとって、むしろ便利で、何ということもないことですが、この種の障がい者の人びとにとっては、理解して順応するのがたいへんです。もし、私が研究している徳川時代であれば、自動車は走っておらず、交通規制もないわけですから、現代よりも危険が少なかったはずです。次男とのお散歩は、現代社会の仲間入りをさせるためには、どうしても必要な仕事でした。

 次男は、現在は施設に入っていますが、どうしているでしょうか。単身赴任先の三重県から東京都宅に帰ったとき、次男は「おさんぽ、もうそつぎょう?」と聞いてきます。寂しそうにしていますが、いつまでも、親の保護下にいるわけにはいかず、いずれは独り立ちをしなければなりません。しかし、そんな彼も、すこしずつ成長しています。親である私も、この障がいについて勉強して、現代社会などをちょっと違った視点から見ることで、成長したと思います。

 次男とは、首都圏のあらゆる公園を歩き潰しましたから、いろいろな思い出があり、寂しい気持ちもあります。次男には、私の研究なんて関係ありません。彼は、私を研究者として認識してくれない、私にとって、数少ない貴重な人物なのかもしれません。

 そんな次男にも、得意なことがあります。遊具のブロックを用いたロボットづくりです。左右対称の造形にするのがおもしろく感じられました。

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