Shinobi Hataraki by Yoshiki Takao

高尾善希の「忍び」働き

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巻の二十一 城下町を復元する

伊賀上野城下の稀少性

 私の研究のひとつに、復元地図の制作があります。ここでは、その研究の中の、城下町の復元についての話をいたしましょう。

 皆さんご承知のように、当然、徳川時代の地図は、土地の形や縮尺や方角や面積など、あらゆる面で、現在の地図のように正確には制作されていません。当時の地図を一見しても、「ここはこのあたりかな?」ということが、大まかにわかるという程度です。

 ここでひとつ、伊賀地域にお住まいの皆さんに、強く主張したいことがあります。それは、伊賀上野城下は、アジア・太平洋戦争による空襲などの罹災を免れ、戦後の大規模な区画整理をも免れ、徳川時代から続く街路の痕跡が、現在の街路の上に少なからず残っている、ということです。

 歴史的文化遺産といえば、古文書や古建築を思い浮かべられると思います。しかし、それだけではありません。皆さんの生活環境も、歴史的文化遺産です。たとえば、伊賀地域によく残っている勧請縄などの民俗儀礼も一例ですが、伊賀上野城下の現代の街路もまた、立派な歴史的文化遺産ではないでしょうか。

埼玉県川越市と三重県伊賀市

 昔の街路が残っている例は、他にもあります。たとえば、私は学生時代に、川越藩領(武蔵国)を研究していましたが、その居城が川越城(現、埼玉県川越市)です。その城下も伊賀上野城下同様、昔の街路がよく残っています。その川越で、『川越城下かさね地図』(文星舎)という復元地図をつくりました。

 復元地図のつくり方は、徳川時代の地図と現代の地図を重ねるということですが、徳川時代の地図が正確につくられていない以上、現代の正確な地図の上に、重なるはずはありません。だから、徳川時代の地図を、正確なものにつくり直さなければなりません。それには、どうすればよいか。

 それには、明治時代の地図を使います。明治時代には近代測量が導入されていますから、そのなるべく早い時期の地図を使い、徳川時代の地図の枠線に補正をかけます。また、石垣や川などは昔と位置がかわりにくいので、それらも参考にします。そうやって、徳川時代の地図を正確な地図にしていくのです。

 だから、①徳川時代の地図・②明治時代の地図・③現代の地図という三層構造にして、徳川時代の地図と現代の地図を重ねます。前述の『川越城下かさね地図』では、それが成功しましたが、川越城下には、徳川時代と現代とで同定できる地点が、石垣や川以外に、街路としてたくさん残っていました。それらが成功の種でした。

 その経験もあって、「川越城下でも作成可能であった復元地図は、伊賀上野城下でも可能だろう」と考えました。昔の街路がよく残っているという環境は、両城下町とも、よく似通っています。

『伊賀上野城下復元地図』

 川越城下での仕事が終わった後、「伊賀上野城下でも、川越城下同様、復元地図はできないだろうか」とほうぼう説いてまわっていたところ、伊賀市が、国から特別な予算を得て、スマホ・アプリケーション『伊賀上野城下復元地図』として、実現するに至りました。この制作陣は、『川越城下かさね地図』をいい仕事だと褒めてくれました。私は監修として関与しました。

 『川越城下かさね地図』の本のバージョンは有料ですが、ウェブ版は無料です(『大江戸今昔めぐり』というスマホ・アプリケーション)。いっぽう、『伊賀上野城下復元地図』は、ウェブ版しかなく、無料です。学習・観光ツールとしてひろく使ってほしいからです。

 伊賀上野城下を訪れた方々は、どうしても、城の中心部(忍者博物館・だんじり会館・芭蕉記念館・天守など)へ足を向けてしまいます。しかし、この『伊賀上野城下復元地図』を使って、ぜひ城下のいろいろな所を巡ってほしいと思っています。地元の方々や観光客の回遊性を高めるツールとして使っていただければと思っています。

 

『伊賀上野城下復元地図』は下記からダウンロードできます。

iOS
https://apps.apple.com/us/app/時のからくり-伊賀上野/id1553896004

 

Android
https://play.google.com/store/apps/details?id=net.igaueno.tokinokarakuri

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