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巻の十五 史料を探る日々
三重大学人文学部准教授(三重大学国際忍者研究センター担当教員)高尾善希
村から都市、そして忍者へ
研究をどのようにしてひろげていくか、という話をいたしましょう。
私は2002年3月に、立正大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程を研究指導修了して(28歳)、2004年3月に、博士(文学)の学位を授与されました(30歳)。
大学院で指導・審査していただいたのは、江戸東京博物館の館長もなさっていた、故竹内誠先生でした。皆さんはよくNHKの大河ドラマをご覧になると思います。その時代考証でおなじみの先生です。うれしそうに、大学までよく台本をもってきていらっしゃいました。
さて、私は関東の村々の研究をしていて、その内容で博士論文を書いたのですが、私を都市の研究へと誘っていただき、都市江戸の史料を編纂している東京都公文書館の就職をすすめてくださったのも、この竹内先生でした。
東京都公文書館の就職によって(巻の三)、私の研究内容は、村の研究(社会経済史・民衆運動史)から都市の研究へと広がるわけですが、それは、やがて都市江戸の真ん中にある江戸城の研究へと繋がり、それが忍者研究をはじめるきっかけともなりました。すべては、竹内先生との出会いが重要であったわけです。
職場というより学校
博士号を得る1年前に、東京都公文書館史料編さん係に非常勤職員として就職します(29歳、職場の名前は編纂の「纂」の字が平仮名)。この職場について、巻の三では少し触れましたけれども、ここに詳しく書いておきます。
この職場、史料編さん係では、『東京市史稿』という史料集を編纂していました。明治34年(1901)に編纂事業がはじまり、明治以来、令和3年(2021)に至るまで、184巻が刊行されました(令和3年刊行巻が最後、やっと完結しています)。
こう言うと、お驚きになる方もいるかもしれません。百年経っても書き終わらない史料集があるなんて、と。もっとも、東京大学史料編纂所の史料編纂事業は、それよりもっと長くて、現在も編纂が継続中です。私が仕事として携わったのは、『東京市史稿』編纂の歴史中、たったの10年間ばかりでしたけれども、私の人生の中で、光栄であり、知的財産にもなりました。
史料収集・編纂は、個人による説と違って、料理にたとえれば、食材集めにあたります。個人の説は覆ることがありえますが、史料の存在自体は、いつの時代になっても覆りませんね。後年、私が国際忍者研究センターにおける忍者学関係の史料収集を喜んだのは、この東京都での経験があったからです。
この職場でさまざまな知見を得ました。この職場は、職場というよりも学校であり、この職場での仕事は、仕事というよりも学業であったと思います。
史料探し
私が従事していたのは、『東京市史稿』産業篇の編纂で、都市江戸の産業に関わる史料の収集です。都市江戸の史料は、東京ばかりにあるわけではありません。上方にも多いのです。三重県松阪市には大商人がいますね。本店が上方で、江戸店が支店、ということも珍しくないからです。もちろん、松阪市のみならず、近江商人の滋賀県近江八幡市なども調査しました。
三重県伊勢市の神宮文庫に調査をしたときのこと。内藤耻叟(ちそう)という学者の蔵書が、東京都公文書館と神宮文庫とで、分けあって所蔵されています。はるばる東京都から三重県に調査にやってきて、当然のことながら、内藤本特有の本の表紙を、三重県の神宮文庫でも見ることができました。その感動を、神宮文庫のアルバイトの方に一方的に語りかけ、内藤本について解説しました。
そのアルバイトの方が、後年、三重県総合博物館の学芸員となりました。私が三重大学に赴任した後、博物館にご挨拶に伺ったところ、「私は高尾先生とは初対面ではない」と言われ、びっくりしました。
どうでも宜しいことですけれども、そんな縁もありました。