Shinobi Hataraki by Yoshiki Takao

高尾善希の「忍び」働き

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巻の三十六 タコツボ化する社会

三重大学人文学部准教授(三重大学国際忍者研究センター担当教員)高尾善希  

タコツボ

 「タコツボ」とは、タコをとるツボのことです。「タコツボ化」とは、タコツボのように、狭い世界に落ち込み、そとの世界と没交渉になることです。

 世の中があらゆる場面で高度になってくると、タコツボ化せざるを得ません。タコツボ化は、問題なのですけれども、一概に問題ばかりともいえず、むしろ高度になった証拠でもあります。大学でも、特に、文系・理系の間が没交渉であることに課題意識があり、両者が連携することを、文理融合などといっています。ちなみに、私は、文理融合することはないと考えているので、「文理連携」なる語を用いています。

タコツボ化を乗り越える

 三重大学における忍者学は、この文理連携の枠組みとして、格好の研究フィールドでしょう。たとえば、忍術書という史料に、武器の作成方法が書いてあったとしても、それは実現可能性があるのか、それが理系的に何を意味するのか、ということは、文献史料の文系の研究者(古文書読み)には、皆目わかりません。逆に、理系の研究者は、忍術書という史料の存在そのものすらも、知らないでしょう。この両者の研究者が、情報のやりとりをすることによって、文理連携的な、その武器の新しい研究がはじまるのです。

 三重大学は、幸いなことに、医学部・工学部・生物資源学部・教育学部・人文学部の文理5学部がひとつのキャンパスに集中しており(津市、上浜キャンパス)、文理にまたがって研究者が交流しやすい環境にあります(諸大学をみると、ひとつのキャンパスにすべての学部が集まっているというのは、当たり前ではないことがわかります)。学部にまたがって教員同士が交流するのは、全学的組織の会議に出席しない限り、あまりありませんね。これは、考えてみれば、もったいないことですが、忍者学では、「忍者」という研究テーマを軸に、文理の研究者が力を合わせて研究しています。

博物館も忍者学も

 ところで、私は三重大学に奉職する以前は、博物館に勤めていたことがあります。博物館もまた、タコツボ化を乗り越えることができる、可能性あふれる場のひとつだと思っています。元学芸員として(落ちこぼれ学芸員ですが)、ちょっと、博物館の展示について、一言、もの申したいと思います。

 過去を分析する研究分野として、文献史学・考古学・民俗学などがあります。このような過去を分析する分析方法ごとに、その対象を「これが文献史料(古文書)だ」「これが考古資料(モノ資料)だ」「これが民具だ」などと言いわけておりますけれども、過去に生きた人びとにとっては、そのような区分は、まったく意味がありません。

 たとえば、昔のひとが生活する場として、ひとつのテーブルがあった、とします。さらに、その上に、手紙があり、硯があり、筆があった、とします。それらを、現代の研究者の都合で、手紙は文献史学の研究者が分析し、硯や筆は、考古学者や民具専門の民俗学者が分析するわけです。でも、そのような区分は、昔の人びとにはまったく関係のない話であり、同じテーブルに乗っているものたちは、むしろ相互に密接に関係づけられています。このような問題関心を、いまの歴史学者や学芸員たちは持つべきなのです。

 だから、文献史学専門の私にひきつけていえば、「私は古文書専門だから、手紙の内容には興味はあるけれど、硯や筆には知らん」というのは、まずい態度であるわけです。

 博物館には、そのタコツボ化を乗り越える可能性があります。私の考えでいえば、本来は、歴史的公文書展とか、考古資料展とか、民具展とか、そういう現代のタコツボに従った展示は好ましくない(実際は博物館の展示の定番ですが……)。もし、「むかしの農業展」であれば、農業生産の様子がわかる歴史的公文書・家の日記史料・ケの日(日常)に使った野良着・鍬や鎌などと、なるべく諸分野にわたる多様なものを、「農業」というテーマの中に串刺しにして、まとめて展示したいものです。

 私にとっては、学芸員時代にこのような問題関心があったからこそ、三重大学に奉職するようになって、忍者学というタコツボ化を乗り越える試みに、おもしろみを感じることができたのです。

私が勤務していた武蔵野市の博物館

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