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巻の三十五 文化財と人びと
三重大学人文学部准教授(三重大学国際忍者研究センター担当教員)高尾善希
利用は破壊か
ふだん歴史学に関心のない方でも、「文化財を大切にしましょう」などと聞くと、「もっともだ」と感じることでしょう。毎年、正月26日は文化財防火デーとされており、各自治体で「文化財を大切にしましょう」などという垂れ幕が下げられます。これは、昭和24年(1949)正月26日、世界最古の木造建築とされる法隆寺金堂が炎上したことによって、翌年、国は文化財保護法を定め、のちに、その災害の日も文化財防火デーと定めました。また、ときどき建築文化財にいたずら書きをする観光客のことがニュースにもなって、世間的に文化財の存在が注目を集めることもあります。
文化財は人類の遺産なのだから、大切にすべきであることは、もちろんで、誰でも納得する言い分ですけれども、文化財を大切にするには、どうすればよいのでしょうか。
大学生のときに、古文書を扱うサークルに入っていた私は、先輩から「古文書を閲覧すること自体が“史料破壊”なのだ」と教わりました。「えっ、そうなのだろうか」と、はじめてそれを聞いたとき、意外に思ったことを覚えています。
利用することの矛盾
文化財を保護することと、文化財を利用することの間には、どのような問題があるのでしょうか。
たとえば、皆さんに馴染みのある高松塚古墳のケースがあります。奈良県高市郡明日香村にあるこの古墳は、飛鳥時代を代表する人物壁画の発見で有名であり、飛鳥時代の上流貴族の風俗を知るうえで、貴重な絵画資料といえます。しかし、未盗掘ではないとはいえ、約1300年も、ほぼひとに知られず眠っていた石室に、昭和以降にひとが出入りすることになったことで、カビが生えてしまい、せっかくの壁画を損なう結果となってしまいました。大きなニュースとして報道されましたから、ご存じの方も多いでしょう。
もし、壁画をみなければ(ひとに発見されなければ)、1300年も保たれたのですから、壁画は損なわれず、いまもほぼそのままであった可能性が高いでしょう。こういうと、奇妙なことに思われるかもしれませんけれども、保護のためには、究極的にいえば、ですが、利用しないということがベストだ、というのが結論です。
その例でいえば、奈良県の東大寺の正倉院御物があります。聖武天皇と光明皇后の遺愛の品などが所蔵されている正倉院は、ながらく「勅封(ちょくふう)」とされ、代々の天皇の命令で封がされていました。つまり、天皇家の命令で守られてきたタイム・カプセルであり、しっかりとした調査が行われつつ内部がすべて把握されるようになったのは、近代以降です。内部の文化財がながらく保たれたのは、天皇家の権力の保護のもと、ほぼ利用されることがなかったからでした(「蘭奢待(らんじゃたい)」という香木を切り取るなど、僅かな利用・破壊はありましたけれども)。
このように、文化財の保護にとって、ひとが利用しないということは、理想的な効果が得られるようです。
しかし、利用しないと……
しかし、文化財は保護するだけでよいのでしょうか? もちろん、利用しないと、意味がありません。
古文書を閲覧するときに、ひとが触っただけで、古文書の繊維に微弱な影響を与えるでしょうから、たしかに、前述の私の先輩の言の通り、閲覧するということは、たしかに破壊なのです。しかし、閲覧してその内容を研究しなければ、古文書の存在価値はありません。当然ですが、考古学の発掘作業でも、上の地表面を“破壊”しなければ、下の過去の地表面を掘り下げることはできません。
たとえば、奈良県の興福寺の仏像を、移動して、東京都の大きい博物館に展示する、とします。すると、引っ越し会社の文化財運搬の部門がやってきて(そのようなチームが実際にあります)、梱包から運搬まで、万端怠りなく移動するわけですが、道中、地震がおきてトラックがひっくり返るかもしれない。危険性は零にはなりません。それでもあえて、展示をして多くのひとに鑑賞していただくために、移動するわけです。
保存と利用の間には、難しくも悩ましい問題が横たわっています。