ここから本文です。
巻の二十三 生活のリズムと回顧録の研究
三重大学人文学部准教授(三重大学国際忍者研究センター担当教員)高尾善希
暇なし・お金なしからはじまる研究
私が手掛けた、ちょっとユニークな研究をご紹介しましょう。私が東京都に住んでいた時分、つまり、三重大学に就職する前は、極端に貧乏であったことは、前に述べました。ここでは、そのときのことを中心にお話しします。
私には4人の子どもがおり、―これはいままでお話ししておりませんでしたけれども―、そのうちの1人は、知的障がい者でした。そのようなわけなどで、家庭への世話に関する私の負担も増えて、おまけに、お金もないので、まったく研究の時間がとれなくなってしまいました。
なけなしのお金で買った書籍たちも、増えすぎて家の中で置き場所がなくなり、妻の言いつけで、売却せざるを得なくなりました。
このような状況で、如何に研究を続ければよいかを考えました。そう、妻に隠れて、本を買って勉強すればよいのです。
電車・喫茶店で勉強
私が考えたのは、回顧録を買い集めることです。回顧録は文庫本化されていることが多く、その絶版本が古本屋に多く出ていました。文庫本ならば、サイズが小さく、本棚の奥に隠匿して妻の目に触れることはありません。私がコレクトした回顧録は200冊以上にも及びました。
つぎの問題は、この厖大(ぼうだい)な本をどのように読むのか? ということです。そこで、出勤日には早起きをして、人の少ない電車に乗り、座りながら本を読むようにしました。これでは早めに職場に着いてしまい、職場の門はまだ開いていません。そこで、近くの喫茶店に入って読書の続きをしました。喫茶店に入るためのお金は必要経費と考えました。
この読書は、だらだらとやってはいけません。読書にノルマ量を何頁と決めます。しかし、無理な量を決めては継続できないので、継続可能なノルマ量にします。皆さんは毎日、決められた時間に、お風呂に入ったりご飯を食べたりしていると思います。それと同じように、勉強を毎日の生活のリズムの中に入れるのです。そうすれば、意志堅固の偉人でなくとも、かなりの勉強量をこなすことができます。
昔のひとのアタマの中を知りたい
それでは、読む対象がなぜ回顧録なのでしょうか。回顧録とは、ある時代・事件が過ぎ去ってから、その過去について、個人的備忘や後世の記録とするための文章です。もちろん、その中には、記憶違いや自分勝手の言い訳もあります。しかし、そのひとがどのような記録・記憶を選び取ったかが興味深く、昔のひとの特殊な観念を現代の言葉で説明してくれている貴重な箇所もあります。同時代史料ばかり読んできた私にとって、それが研究のテーマになると考えました。
私は、柏書房の編集者の方から薦められて、それらの勉強の成果を原稿にして、357頁におよぶ書籍にして刊行しました(『驚きの江戸時代―目付は直角に曲がった―』柏書房、2014)。その印税で、回顧録本の買得分や喫茶店のお金などを回収したわけです。重版がかからなかったのは残念でした。
三重大学に就職してからも、三重県四日市市にある自宅から、伊賀市にある国際忍者研究センターまで出勤するときなどに、朝4時に起床することも珍しくありません。それは以上の経験の名残りです。ときどき自宅に両親がやってきます。両親は、戦中生まれ・団塊の世代で、経済的に恵まれていた世代ですから、朝早起きをしなければならない氷河期世代の苦境を知らないし、私が東京都宅で妻と子どもとともに住んでいた事情もわからないので、私の生活のリズムをみて、怪訝な様子です。
若い頃は極貧で、白いメシは年に二、三度しか喰えなかった、土佐勤王党の生き残り、元老院議官伯爵田中光顕は、孫にこう言っています。「『困った』という言葉を決して使ってはならない……男子たるもの、いかなる時でも『困った』ということをいうべきではない」(田中光顕『維新風雲回顧録』河出文庫、1990)。回顧録のシリーズの一冊です。