Shinobi Hataraki by Yoshiki Takao

高尾善希の「忍び」働き

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巻の十二 人生、役に立たないことはない

三重大学人文学部准教授(三重大学国際忍者研究センター担当教員)  高尾善希    

なぜ旧字体が読めるのか

 月1回の「高尾善希の『忍び』働き」の連載も、今回でちょうど1年を迎えることになりました。ご愛読、ありがとうございました。1年の間は、私の人生話で埋めようと思っていましたから、この場にてその話題は締めたいと思います。来年度(翌月以降)からは、私の研究の話で埋めようと思います。

 私は日本史学の文献史学を専門にしています。つまり「古文書屋」です。学生時代は、まず、くずし字解読の勉強をするわけですが、その前に、旧字体を知っていなければなりません。旧字体と形が似通っているくずし字が多いからです。もちろん、そもそも、戦中・戦前などの古い本や新聞などは、どれも旧字体で組まれていますね。

加藤退祐「読書論」(一部)

 私は昭和49年(1974)生まれの若造ですから、もちろん、教育課程の中で、旧字体を勉強する機会などはありませんでした。それでも、大学入学前から旧字体を知っていたのは、母方の加藤家に、旧字体で組まれた古い歴史の本が、たくさん転がっていたからです。

 以前「巻の五」で紹介したように、数え32歳で亡くなった曽祖父の加藤退祐(1893~1924)というひとは、「国史」(日本史)を専門にしていました。私が手にした古い歴史の本は、その曽祖父の遺品群であったのです。私は、知らず知らずのうちに、昔々に亡くなった曽祖父の影響下にあったというわけです。「死せる孔明生ける仲達を走らす」です。

 さて、私が歴史学を研究するようになってから、曽祖父の手による1冊の帳面を見つけました。「読書論」という巻頭言が付いた、500冊にもおよぶ彼の蔵書の目録でした。題名のみならず、買った年と買った値段まで、逐一記録にとっています。マメなひとだったのだなと感じ入りました。もちろん、私が子どもの頃に手に取った本も、その蔵書目録の中に入っています。

 蔵書目録の巻頭言「読書論」には、こうあります。「身ハ一室ニアリテ内外ノ事情ニ通ジ古今ノ英雄ニ接シ得ルハ読書ニアラズヤ、世人読書ヲ以テ人生最大且ツ高貴ナル楽トナス、故(ゆえ)ナキニアラズ、河水流レテヤマズ、日月シバラクモ休マズ、世ハ浸々(しんしん)トシテ文明ニ進ム、今日我等ハ世ト歩ヲ共ニセント欲シテ、タマタマコヽニ激甚ナル生存競争ヲ現出シヌ、ソノ勝利者トシテ名誉ヲニナヒ月桂冠ノ捧ゲウル身ヲ誰カ望マザラン」。つまり、生存競争社会の世の中を生き抜くには、読書による研鑽が必要である、と息巻いているのです。いやはや、曽孫の私としても負けてはおられません。

伊賀にはじまり、伊賀にやってきた

 私は、日本史学を勉強すべく、立正大学文学部史学科に入学しました(「巻の三」)。「日本史概説」という講義に出席して、はじめて本格的な歴史学に触れました。石母田正『中世的世界の形成』(岩波文庫)がその講義のテキストでした。こんな難解な本を大学1年生でよく読んだものだと思います。わからないながらも、中世史の大家の文章と格闘したのは、懐かしい思い出です。

 この『中世的世界の形成』は、伊賀国における古代から中世への時代の移り変わりを描いた書籍です。この伊賀国に関する研究書から出発して、近世の社会経済史の研究をし、そして、伊賀市の国際忍者研究センターに赴任するわけですから、人生、わからないものです。この『中世的世界の形成』は、いまだに私の手元にあります。

 最近、大学生になった長男(加藤退祐の玄孫[げんそん、ヤシャゴ])が「得意の英語を磨くために、海外に留学したいから、大学の卒業を遅らせて欲しい」と言ってきました。もちろん、許しましたが、そもそも許すも許さないもありません。成人を迎えたのだから、自分の人生は勝手に自分で決めればよいのです。

 そして、自分の経験上こう言えます。「人生、役に立たないことはない」と。そして「何が役に立つのか、自分にもよくわからない」と。

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