Shinobi Hataraki by Yoshiki Takao

高尾善希の「忍び」働き

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巻の六 研究をする人生

三重大学人文学部准教授(三重大学国際忍者研究センター担当教員)高尾善希

お父さんの花束の謎

 平山優さんの『戦国の忍び』(KADOKAWA[角川新書])という本は、とても面白い本で、戦国時代の史料を中心に、忍者(忍び)の記述を徹底的に博捜しています。そのため、今後は忍者学の基本的文献となるでしょう。

 この本で平山さんは「忍び=アウトロー論」を主張されています。戦国時代、盗賊などのあぶれ者が社会に数多く滞留しており、彼らを足軽として組織した、というのです。そして、彼らは正規兵ではなかったので使い捨てにされた、ともいいます。使い捨て層はいつの時代にも存在するものです。

 さて、私には4人の息子がいますが、私がフリーの歴史研究者として働いていたときに、三男が私に対して面白い反応を示したことがあります。

あるとき、講演をしてきた私が、主催者からいただいた花束をもって帰宅しました。すると、当時小学生であった三男が騒ぎだして「どうしたの? どうしたの?」と言います。花束をもらって帰ってきたので、てっきり私がどこかの職場でクビになったのかと、勘違いしたらしいのです。彼は妻にも「お父さん、何をやらかしたの?」と言っています。慌てて私が「いや、お父さんは……」と説明すると「お父さんは先生なの?」と訊いてくるし、妻にも「本当のことなの?」と訊いています。三男にとっては、①お父さんはどのような先生なのか、②お父さんごとき(クビになるほどの)「仕事のできない」ひとの話を誰が聞きにくるというのか、③講話をするほどの人間がクビになってしまう社会の仕組みが理解できないなど、彼にとってわからないことだらけなのです。結局、私もうまく説明できませんでした。

 

大学の先生・研究者とは

 大学の先生とはどのような人びとか。彼らの就職事情や生活事情は多様で、一概には申せません。まず、そもそも文系と理系とでは異なることが多いでしょう。同じ文系の中であっても、異なることが多いのです。ここでは、私の所属する人文系の、しかも歴史学分野(文献史学)の話を書いているとご理解ください。

 大学の先生を、特別な人間、エスタブリッシュメントとみる向きもあるかもしれません。たしかに世の中から尊敬される(?)のかもしれませんが、正規就職をする年齢は遅いし、正規就職できず非常勤職のままの方も、珍しくありません。たとえ運よく正規就職をしたとしても、研究ばかりではなく、事務仕事を多くこなさなければならず、毎日を忙しく過ごしています。むろん、いろいろな先生がいらっしゃいますけれども、普通のひとがイメージする大学の先生、つまり「毎日のんびり研究室でコーヒーでも飲んでいる大学の先生」は、少数派であり、おおむね、それらはきっと、テレビ・ドラマや漫画でつくられたイメージなのでしょう。

 ただし、いままでここに記してきた私の苦難の経験は、かなりの特殊事例も含まれています。私の非力に原因が求められることは、いうまでもないことですけれども、それだけではありません。私の世代は、人口の多い団塊の世代ジュニアであり、そのうえに経済の悪化も重なって、とりわけ、普通に生きることが難しい世代でした。私の受験したある学芸員の就職試験も、300倍という倍率で、そもそも単なる大学の入試ですら40倍であったのですから「まあ、仕方がないか」と諦めていました。最近、兵庫県宝塚市が、氷河期世代向けの公務員採用試験を実施したそうですが、3名枠に1800人の応募があったといいます。ほかの世代の方は驚かれるかもしれませんけれど、私の世代ではそれが普通の光景であったのです。

キャプション 私のいただいた花束(2016年11月3日)

 さらに、研究者という観点でいえば、私の歴史学分野の場合、進路は大学の先生ばかりではありません。博物館学芸員や高等学校の教諭など、研究ができる立場は、いろいろあることでしょう。そういう意味では、まだまだ進路に恵まれている分野かもしれません。最近は、学芸員の公募も増えて倍率も下がっていると思います。実際、私の大学の後輩も、どんどん学芸員として就職しています。大学の先生だけがゴールではありません。

ですから、私の文章を読んで、歴史学の研究者を志望されている若い方が、尻込みされることを恐れます。もちろん、普通の就職よりも厳しいかもしれませんけれども、いまは有力な普通の進路のひとつになっていると思います。若い方々には、是非チャレンジをしていただければと思います。

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