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新陰流兵法 碧燕会会長 横田正和さん
かつて道場があった場所で承継に努めたい
侍の精神を学ぶため「新陰流」の道へ
「新陰流は自分にとって理想の剣術」と話すのは、新陰流兵法 碧燕会会長で六代目 津田武左衛門こと横田正和さん(51)。
東京都出身で、伊賀に移住して10年以上になる。剣術との出会いは小学生のとき。東調布警察(現田園調布警察)が実施している少年剣道活動に参加したのが始まりだった。その後も中学、高校と剣道を続けるが、もっと深く侍の精神を学びたいと、様々な流派の剣術を学んだ。新陰流※1に出会ったのは25歳頃。尾張藩新陰流の流れをくみ東京で道場を構える、新陰流兵法 転会(まろばしかい)に入門。伊賀に移住してからも同会の伊賀支部を立ち上げて活動を続け、2019年1月には、転会から独立して碧(へき)燕会(えんかい)を立ち上げた。現在会員は30代から50代の男女6名。毎週日曜日の夜に伊賀市立崇広中学校の体育館で稽古を行っている。
※1……新陰流は戦国期に上泉信綱が創始したとされる。第二世を柳生石舟斎が継承し、その子宗矩が徳川将軍家の剣術指南役を務めたことなどにより広く世に知られるようになった。柳生十兵衛や仇討ちで有名な伊賀ゆかりの荒木又右エ門など、多くの剣士を生んだ。
![]() 新陰流平法 碧燕会のメンバー |
流祖の教えは哲学的で現代にも通じる
「新陰流は哲学的な剣術です。心技において構えをなくし、攻めと守りを一つにした『無形の位』が極意。相手を威圧して斬るのではなく、相手に技を出させて大いに働かせ、自らは攻撃をかわして『居ながらにして勝つ』。相手が降参すれば無益な殺生をしません」と話す横田さん。新陰流を学べば学ぶほど、流祖の優しさやその教えに共感し、感嘆することも多いという。
「稽古に使うのは中に割った竹が入った袋竹刀を使います。あたっても木刀に比べてあまり痛くありません。無益な殺生をしないというのも、戦う相手を気遣う流祖の優しさが感じられます。教えの一つである『風水の音を聞くこと』は戦いにおいて、風や水の音が聞けるくらいに冷静になれというもので、これは現代にも通じる考えだと思います。500年前の教えが、現代でも大いに役立つところに、共感し心打たれるものがあります」と話す。
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袋竹刀を使った稽古の様子。 |
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稽古は毎週日曜日の夜に、伊賀市立崇広中学校体育館で行っている。 |
伊賀と関わりが深い「新陰流」 道場があった場所で後世に伝えたい
碧燕会によると、江戸時代に藤堂藩の藩校だった崇廣堂に、新陰流や由来の流派(若山流、戸波(へわ)流)の道場が併設されていた記録が残っていて(現伊賀市立崇広中学校内)、藩主藤堂高虎との逸話も数多く残っているそうだ。
「私が襲名した『津田武左衛門』は、代々藤堂藩の剣術の指南役だった津田家の当主が襲名していました。第2次世界大戦で後継ぎが戦死したので、2023年に私が六代目を襲名させていただきました。代々津田武左衛門が教えたこの場所で、新陰流を後世に伝えていきたい。地元の方をはじめ多くの方にもっと新陰流について知ってもらいたいです」と横田さんは話していた。
※新陰流兵法 碧燕会に関するお問い合わせは、支部長山下さん(090-6614-9805)、電子メール(buzaemon001@gmail.com)まで。
取材日:2024年12月