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養肝漬 宮崎屋 宮嵜遥菜さん

江戸時代から続く伝統の味を守りながら新しい挑戦を

現在7代目として修業中 継ぐのは自然な流れだった

伊賀名物 肝っ玉を養う漬物「養肝漬」

伊賀名物 肝っ玉を養う漬物「養肝漬」

「養肝漬とともに育ち、父と母の仕事も良く見ていたので、後を継ぐことに抵抗はありませんでした。まだ、修業中の身ですが、プレッシャーは感じていません」と話すのは、上野中町にある養肝漬 宮崎屋の7代目修業中の宮嵜遥菜さん。三姉妹の長女として、小学生の頃から後を継ぐことは意識していたが、決意が固まったのは、大学生のとき。卒業論文のテーマ「食」の調査で訪れたフランスでは、幼い頃から食育を実践している小学校を見学。幼い頃に体験した食の記憶の大切さなどを研究し、発表した。執筆中に自身と養肝漬の関わりについても改めて考え「やっぱり自分には『食』しかない。『養肝漬』しかない」と改めて感じたそうだ。

大学卒業後は、京都の老舗和菓子店で2年間、販売スタッフとして勤務。お店は祇園や京都の中心市街地にあり、芸妓さんや舞妓さん、歌舞伎関係者、観光客など客層が様々で、贈答品のしきたりや接客対応がとても勉強になった。ほかにも、京都ならではの季節感をいかした商品展開やディスプレイなど、学ぶことはとても多かった。自店に戻ってからは、ディスプレイに季節感を盛り込むなど、少しずつだが京都で学んだことを実践している。

愛してくださるお客様のために伝統を守りたい

明治時代から100年以上に渡り使われている漬樽

明治時代から100年以上に渡り使われている漬樽

同店の創業は慶応元年(1865)。看板商品の「養肝漬」は、伊賀盆地特産の白瓜の芯を抜き、その中にしそ、生姜、大根等を刻んだものを詰め、たまり醤油に漬けて熟成させたお漬物。名は、藩主・藤堂高虎が陣中に食料として常備していたことから、武士の士気を養う「肝っ玉を養う漬物」に由来している。

伊賀の食卓で長く愛され、土産物としても有名な同商品。5代目の祖父の時代から、東京の有名百貨店の三重県展などに、ほぼ毎年出品している。数年前から6代目である父の慶一さんにかわり、遥菜さんがその役目を担うようになった。「ありがたいことに、養肝漬を毎年楽しみにしてくださる方がたくさんいらして。昔伊賀に住んでいたとか、祖母が良く食べていた懐かしい味に出会えてうれしい、といったいろいろなお話を聞かせてくださるんです。味と香りは記憶に残るもの。愛してくださるお客様のためにもこの味を守っていきたい」と遥菜さんは真剣な眼差しで語る。

これまで、営業や経理の仕事が中心だったが、今年から漬蔵の仕事も行うようになった。白瓜の芯を取り除いたり、佃煮を炊いたり、ひの菜漬けの仕込みなど、あらゆる作業を行っている。「やっぱり漬蔵を知らないと商品の良さを伝えられませんから。実際に漬蔵の作業をすると、農家の方、頑張ってくれているスタッフ、支えてくださる関係者の苦労やありがたみがわかります。みなさんにとても感謝しています」と遥菜さん。

若い世代にも受け入れられる新しい試み

養肝漬とクリームチーズがコラボした「宮崎屋にしか創れないベーグル」

養肝漬とクリームチーズがコラボした 「宮崎屋にしか創れないベーグル」

若い世代の漬物離れに対して、父の慶一さんと母の郁子さんは「たまり醤油アイス」や「養肝漬ドレッシング」など、様々な新商品を生み出してきた。遥菜さんも以前からお店のファンだった方と、養肝漬とクリームチーズがコラボした「宮崎屋にしか創れないベーグル」や養肝漬を生地に練りこんだ「宮崎屋にしか創れないビスコッティ」など、新商品を次々に開発。ベーグルは土日のみの数量限定販売で、完売する人気商品になっている。「今後も養肝漬を主とした、漬物の新しい入り口になるような商品、漬物が苦手な方でも食べられるような商品など、いろいろな商品を作っていきたい」と、遥菜さんは新商品の開発に意欲的だ。

今年はコロナ禍で売り上げが激減。来店者がゼロという日もあった。現在は、売り上げも回復しつつあるが、不安も抱えているという。しかし遥菜さんは「今は7代目になるべく、スタートしたばかり。新商品の開発やお子さんでも気軽に入れる親しみやすい店づくりなど、私には実現したいことがたくさんあります。一人の力ではかなえられませんが、みなさんと共に前に進んでいきたい」と力強く今後について語ってくれた。

養肝漬 宮崎屋

伊賀市上野中町3017番地

0595-21-5544

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