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巻の四十二 女性忍者のこと
三重大学人文学部准教授(三重大学国際忍者研究センター担当教員)高尾善希
ペルソナ
最近は、人権の理解がすすみ、社会について個人を軸に考えるようになり、“ひとからどうみられたいか”ということも、そのひとが選択できるようになりました。たとえば、男としてみられたい、女としてみられたい、男としても女としてもみられなくない、という立場ごとに、社会のほうが対応する、ということです。以前は、「社会全体に個人が従え」というような、パターナリズムが幅を利かせていましたが、それよりも、最近はだいぶ生きやすくなったといえるでしょう。
ひとは誰しも、ペルソナをもっています。家に帰ればお父さん、会社に出れば部長、PTAに出れば保護者、コンサートでは歌手のファン、というように、ペルソナをつけたり外したりしています。
三重大学大学院人文社会科学研究科地域文化論専攻修士課程(忍者・忍術学コース)の女性忍者、凛さんという学生は、普段のお仕事は、「徳川家康と服部半蔵忍者隊」という愛知県の観光PR隊に所属していて、名古屋城を中心に、愛知県の魅力を宣伝しています。
忍び装束を着て、喋り言葉はござる言葉、むろん「戦国時代からタイムスリップしてきたひと」という方です。これもペルソナのひとつです。
再チャレンジ
凛さんは、現世に蘇って以来、この女性忍者凛さんとしてのペルソナで、世の中と接触したいというご希望をもっています。具体的には、忍者ショーをするのも、講演をするのも、研究発表をするのも、凛のペルソナとしてやりたい、ということです。
凛さんは、どちらかというと、高校受験も大学受験も、いま流行りの言葉でいう「勝ち組」に属しているでしょう(神奈川県立湘南高等学校卒、慶應義塾大学総合政策学部卒)。しかし、人生修行としてのアルバイトにも就職活動にも失敗し、心の傷を負って、自称「ひきこもり」になってしまいました。
そこで、彼女は世の中で生きるために、再チャレンジという意味で、「徳川家康と服部半蔵忍者隊」の凛さんというペルソナとして、社会の中で生きることを選択しました。つまり、凛さんというペルソナは、彼女にとって職業以上の意味があるわけです。
そのため、三重大学大学院の忍者・忍術学コースの門を叩いたわけですが、凛さんの主査教員の私は、その凛さんの進学意図を、とても共感できるものと感じました。彼女には、鳥取藩の忍者関係史料が大量に残っていることを紹介して、じっくりと修士論文として研究してもらうことにしました。
研究科長賞受賞
しかし、修士論文の道のりは、けっして平坦ではありませんでした。日本史受験ではなかったので、高等学校の「日本史B」の教科書から、勉強をはじめざるを得ませんでした。それには、インターネットの動画授業を延々と受講してもらいました。それから、くずし字の学習、日本近世史研究の基礎知識などへと、勉学をすすめ、そのうえで、鳥取藩史の勉強、鳥取藩の忍者の研究・その内容の修士論文の執筆へと移りました。
困ったのは、修士論文発表会の形式です。彼女は、所謂“現世の格好”というペルソナではなく、忍び装束で「ござる」言葉の凛さんというペルソナで、報告しなければなりません。そうしなれば、彼女の人格が危機におちいるようです。……それが、ひとからみて、たとえどれだけ奇異に映ろうとも、まあ、それは、彼女の心中でしかわからないことで、彼女の問題でしかないわけです。結局、教務委員の先生方のご了解をいただきまして、凛さんのペルソナで研究報告をすることが許されました。
その結果、凛さんは、研究報告が評価されて、研究科長賞を受賞することになりました。
「生きることから逃げるな」
ここでくノ一という言葉を使っていないのは、彼女はくノ一という言葉についている“お色気”のイメージを嫌っているからです。凛さんはそういうものを目指していないのです。
凛さんの忍者としての口上には、彼女なりの矜持をこめたようで、おそらく彼女なりに考え抜いたものでしょう。このような口上です。
「ひらりひらりと かわせども 生きることから逃げるな 軽業の凛 推参」。