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第42回 伊賀白祐斎範弘

三重大学人文学部 教授 山田 雄司

三重大学国際忍者研究センターでは、日本各地の忍者情報を収集しているが、昭和52年春に熊本のある小中学校に忍者がやってきて、以下の技の実演を見たとのメールをいただいた。

  1. 内臓の動きをコントロール(腸その他下腹部の一部を肋骨内に入れる)。
  2. 暗記術の披露(黒板一面に生徒が適当に書いた数字を数分で暗記、最初からも最後からも間違えることなく答えた)。
  3. 言葉で他者を動かす(壇上に呼ばれ、普通に歩いていたところをえいっという気合をかけられた生徒は、歩いている途中でピタリと止まった。本人の弁では、どうしても動けなかったとのこと。その後さらに数名呼ばれ、えいっと言われて横になった生徒の上に誰かがのっても平気だった)。
  4. 石を素手で割る(校庭の隅にあった石をいくつか拾ってくるように指示があり、もっていくとそれを素手で割った。ブロックなどよりはるかに固い、小さめの石を割った)。

そして、修行の厳しさを語り、毎日少しずつの努力でこういうことができるようになったのだから、君たちもやれば必ずできるようになるので、日々の努力を欠かさないようにという話だったという。

この人の名は伊賀白祐斎範弘といい、1960年代から70年代にかけて、日本各地をまわって「忍術」を披露し、フジテレビ系「万国びっくりショー」などにも出演していて、その映像も残っている。私はその映像を見たことはないが、子どもを一列に並ばせて肩に手を掛けさせた上で「催眠術」をかけて、手を触れずに倒す「忍法霞倒し」や、黒板一杯に書かれた数字を全部記憶する術や、鉄棒を首に当てて曲げる術、時計の針を進ませる術、石を素手で割る術、トランプさばきなどを披露しているようである。

人をビックリさせる術を「忍術」と言っているのだろう。甲賀流忍術14世を称した藤田西湖は『法術行り方絵解』(修霊鍛身会、1928年)で、これは「忍術」ではなく「法術」であって、やり方に則ってやれば誰でもできるとして、さまざまな術を紹介している。この時期「忍者の末裔」と称して、各地でこのような「忍術」を披露していた人は他にもいたようである。

昭和39年開館当初の伊賀流忍者屋敷

昭和39年開館当初の伊賀流忍者屋敷

伊賀白祐斎範弘については、アメリカの格闘技雑誌『Black Belt』1971年5月号にも掲載されていて、上記の術や、トランプを手裏剣のようにして投げてグラスを割る術や、観客に親指を紐で縛らせて関節を操ることによって抜け出す術を披露したことを記している。彼は自称藤田西湖亡き後の最後の忍者で、他に「忍者」と称している人間が3人いるが、彼らは素人にすぎないと主張している。一方、他の忍術家は、彼はマジシャンであって忍者ではないと激怒していると書かれている。『Black Belt』の執筆者も彼のことをやや批判的に紹介している。

伊賀白祐斎範弘は伊賀忍者の末裔で、6歳のころから忍者だった父親から忍術を学び、忍者は一箇所にとどまることはないということから、住所を定めず、妻や子をもたず、親族とも縁を切って、身を隠してひとり各地を巡っているのだという。さらには陸軍中野学校でも忍術を教えたとし、それを本としてまとめる予定だとされるが、出版されることはなかった。彼が本当に忍者の血筋なのか、本当の忍術と呼べる術を身につけているのか、今となってはすべて闇の中である。

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