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第20回 忍者屋敷

三重大学人文学部 教授 山田 雄司

伊賀流忍者博物館には、伊賀市高山から農家住宅を移築、改築した「忍者屋敷」があり、内部には「どんでん返し」「抜け道」「隠し戸」「隠し階段」「刀隠し」などの仕掛けが施されている。一方、甲賀市にある甲賀流忍術屋敷は、甲賀五十三家の筆頭格望月出雲守の旧宅で、「どんでん返し」「落とし穴」「見張り窓」「からくり窓」「縄梯子」などが施されている。こうした忍者屋敷に付け加え、近年青森県弘前市で忍者屋敷とされる住居が発見され、茅葺き平屋建ての住居内には、客間と寝室の床の間の裏に人が1人隠れることができる空間が設けられているほか、床が鶯張りとなっているなどの仕掛けが施されている。

忍者屋敷は実在したのか、さらには果たして実際にこのような仕掛けが施されていたのか、また、施されていたとしたら何故に設けられていたのか。こうした質問をしばしば受けるが、住居内部に関する資料はほとんど残っていないので、この問いに関する答えは非常に難しい。

伊賀流忍者博物館

忍者屋敷ではないが、内部にからくりが設けられている建物として、京都の二条陣屋、金沢の妙立寺(通称忍者寺)が知られている。二条陣屋は公事訴訟や裁判のために地方から来た者を宿泊させたことにより、からくりが施されたとされる(滝川政次郎『二条陣屋の研究・公事宿の研究』)。内部には「武者隠し」「吊り階段」「隠し階段」「猿梯子」「鶯張り廊下」などがある。また、妙立寺は藩主前田家の祈願所である日蓮宗寺院で、万が一の際には出城としての役割を持たせるために複雑な構造を有していたとされる。そして、「落とし穴」「隠し階段」「明かりとり階段」などを備えている。こうした例からは、忍者屋敷に限らず、敵からの防御や逃げるための時間をかせぐためにからくりを設けている建物が、江戸時代には存在していたことがわかる。

それでは文献にはどのように書かれているだろうか。伊賀流忍者博物館所蔵で19世紀はじめころ成立したと考えられる『忍之巻手鏡』には以下の記述がある。

常ニ寝所ノ心カケハ、セマキ所ヲツヽムベシ、勿論一方口ハ何ニシテモ無拠カマイヲ以、一方口ニスル時ハ、内ヨリ壁ヲ切ヌキ置、ツメノ時早速表ヘ出ルヤウニ心ヲツケベシ、

出入口が一つしかないときには、壁をくりぬいておき、相手が詰めてきたときにすぐに表に出られるように心掛けておくようにとある。これは例えば、壁に穴をあけておいて、普段はそこに掛け軸を懸けておいてわからないようにしておき、いざとなったらその穴を通って逃げられるようにしておくようなことを示していよう。

また、伊賀流忍者博物館所蔵で18世紀末にまとめられた『忍法水鏡』にも以下の記述がある。

忍者我を尋ると思へは、能心をおさめ、囲炉裏の内に入臥て敵のゆるみをうかゞひ見てはづす事有べし、扨いろりの内に身をかくす事、起(ヲキ)合るものども常々見置たる故に、彼いろりを皆人除(ヨケ)て通るもの也、

相手の意表を突いて、いるはずがないとして探すことのない囲炉裏の内に身を隠すとは、囲炉裏の灰に身を伏せることかもしれないが、囲炉裏がスライドして、その中に身を隠すことを考えてもよいかもしれない。

文献上からは、忍者屋敷内のからくりについて記すものはごくわずかであるが、上記のようにないわけではない。そうしたことからも、からくりを設けた屋敷は確実に存在し、それは敵から逃げるために施されていたと言えよう。

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