第39回 『忍術の三病』

 
忍者の聖地 伊賀

第39回 『忍術の三病』

三重大学人文学部 教授 山田 雄司

 忍者が注意しなければいけない病として、「忍術の三病」というものがある。『万川集海』巻第十一陰忍一には以下の記述がある。

忍術ノ三病ハ、一恐怖、二敵ヲ侮リ、三思案過ス、此三ツヲ去テ如電光入ルコト速カナリ、

『万川集海』巻11(伊賀流忍者博物館所蔵)

『万川集海』巻11(伊賀流忍者博物館所蔵)

 忍術の三病とは、一に恐れ、二に侮り、三に考えすぎである。この三つを取り除けば、電光のごとく速やかに侵入することができると書かれている。『万川集海』では引き続いて以下のことが記されている。第一には、敵を恐れることにより心が萎縮し、動揺して取り乱し、日頃習って工夫したことも忘れてしまい、手足が震え、顔色が変わり、あるいは話し方が尋常でないことによって見とがめられて見つかってしまう。第二には、敵を軽んじ相手を愚かに思うことによって、陰謀が浅くなってしまう。浮ついたやり方によって事をし損じることがあるものである。第三には、あまりに大切に考えすぎ、よけいなことまで考えると、疑わなくてよいことまで疑うようになってしまい、かえって危険が多くなり、意思が決定できず、しばしば迷いが生じて失敗することがある。ゆえに、こうした「三病」を取り除くことで、謀計を深くし、その機に臨んで速やかに侵入することができる。恐れず臆病心をもたなければ、電光のように侵入できるものである。

 続いて、史料をあげて説明している。『六韜』軍勢第二十六には、

三軍之災、莫過狐疑
(狐のように疑い深いと、逃げようと迷っているうちに捉えられてしまい、決断力がないと全軍潰滅してしまう)とある。
『義盛百首』には、
得たるぞと思い切りつつ忍びなば 誠はなくと勝は有るべし
(「やってやる」と思い切って忍びをすれば、本当はそうでなくても勝利することができる)

のように歌われ、事を起こす前に怖じ気づいて何もできなくなってしまうことに注意しなければならないと戒めている。

『太白(たいはく)陰(いん)経(けい)』では、
撃隼の重林に入るがごとく、その跡なし。游魚の深潭に入るがごとく、その迹なし。離婁(りろう)首を俛(ふす)とも、その形を見ず。師曠(しこう)耳を傾とも、その音を聴かず。微なるや。繊塵と倶に飛ぶ。あに勇力軽命の将にして彳の于イ之事を見んや
(獲物を狙ったハヤブサが鬱蒼とした林に入るように、その痕跡がない。泳ぎ回る魚が深い淵に入るように、痕跡を残さない。視力の優れた離婁が首を垂れて見ても、その形を見ることができない。鋭い耳をした師曠が耳を傾けても、その音を聴くことができない。微妙なことよ。塵と共に飛ぶ、勇力軽命の将がどうして行人を見ることができようか)

 『太白陰経』の原文は繊塵以下の文章が異なっていて、『万川集海』編纂の過程で改変しているが、全体では、「忍術の三病」として心に刻んでおくべき三つの注意事項を記している。自らに厳しく禁欲的であることが常に求められたのが忍びであり、それは日々の鍛練によって培われた。その結果、何事があっても動じない「忍」の心を醸成することが可能となり、そうした心をもってこそはじめて忍びとしての任務を遂行することができたのである。この点、現代でも充分通用する考え方だと思われ、恐れすぎず、かといって侮らず、そして考えすぎて迷わないようにしていけば、日々の困難を乗り越えていけるのではないだろうか。

 

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