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第22回 伊賀者の気質

三重大学人文学部 教授 山田 雄司

2017年7月に公開された映画『忍びの国』では、伊賀国は虎狼の族が潜む秘蔵の国であって、伊賀者は金のためなら何でもする人でなしの連中として描かれており、これについては憤慨する人も少なくなかったのではないだろうか。元となる小説・脚本を書いた和田竜さんも、この点について伊賀の人はどう思うだろうかと心配していた。

 そこで、歴史史料には伊賀者についてどのように記されているのか確認しておきたい。戦国時代に成立したと考えられる日本各地の国の人々の風俗、気質についてまとめた書『人国記』では次のように記されている。

伊賀の国の風俗、一円実を失ひ欲心深し。さるに因って、地頭は百姓を誑(たぶら)かし、犯し掠(かす)めんとすること日々夜々なり。百姓は地頭を掠めんことを日夜思ひ、夢にだに儀理と云ふことを知らざるが故に、武士の風俗猶以て用ひられざるなり。

伊賀の人は欲深く、人をだまして金品を奪い取ることを日々考えていて、義理ということを思うことない武士以下の者だとの評価である。『人国記』は全体的に厳しいことを書いているが、それを考慮しても伊賀に対する評価は低い。

菊岡如幻翁旧宅跡(伊賀市上野福居町)

また、伊賀に生まれた江戸時代前期の国学者菊岡如幻(にょげん)『伊乱記』には南北朝時代以降の伊賀の状況について以下のように記している。

国民邪勇に募り、無道の我意をふるまい、帝闕の貢乱れ献上せずして、慢心を気指し、血気の勇者と成て、無上の奢(おごり)に分限を忘れ、(中略)やゝもすれば親子連枝の好みをも憚らす乱逆をなし日夜討合、まして朋友他軒の輩に於てをや、

伊賀では守護不在のような状態で、地侍が乱立し、それぞれが自分勝手に行動していて驕り高ぶり、知り合い等は言うに及ばず、親子兄弟であっても日夜戦いに及び、それに備えるために家の周りに堀を掘り、高く柵を作り、門戸を厳重に固め、兵具を備えていたという。こうしたあり方が、現在「方形単核四方土塁」と呼ばれる伊賀独特の住居を作り上げたのだろう。

また、いわゆる第一次天正伊賀の乱について記した箇所でも、

伊賀者の癖として堅くな成る心にて内談一致に調難く別心にて一統成らす、依之(これにより)郷士の気分別々に成て、面々が思ひ入たる所々に於て讒(よこしま)にかきあげの要害を拵へ、其手寄の方に楯篭る、

のように、かたくなな心をもっているため皆の意見が一致せず、バラバラに思い思いの防御法をとっていたことが記されている。

そして、一度は織田信雄軍を追い払うことができたことに対して、次のように厳しい批評をしている。

己々が家居を作り美食を好み、大酒にめで、様々奢侈遊興し、弥以放埒邪勇にて身を色欲にふけり、五常の道かすかにも行ふ者もなし、

皆大喜びして、神社仏閣を造立したり、領地を寄附したり、さらには自らの家を作って美食・大酒に酔い、欲望に溺れているという。

このような叙述をそのまま受け入れてよいかどうかは議論の余地があるが、一定程度事実を反映しているといってよいのではないだろうか。伊賀について数多くの著作を残している菊岡如幻は、伊賀者の気風についてかなり厳しいことを述べているが、もし現在の伊賀の状況を見たらどのように書くのだろうか。時代を超えてぜひとも聞いてみたい。

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