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第10回 忍びの「正心」

三重大学人文学部 教授 山田 雄司

忍者にとって重要なのは、その心構えである。忍びの活動は一つ間違えば泥棒と同じになってしまい、非道徳的な行為に直結してしまう。そのため忍術書には精神的内容についてかなり紙幅を割いて言及されている。

例えば『万川集海』には次の文言が記されている。

それ忍の本は正心なり。忍の末は陰謀・佯計なり。これゆえにその心正しく治まらざる時は、臨機応変の計を運(めぐ)らすことならざるものなり。

これを現代語訳すると、次のようになる。「忍びの根幹は正心であり、陰謀や偽る策略は末端のことである。これゆえに心が正しく統御されていないときには、臨機応変の計略をめぐらすことはできないのである」。

さらにこの後では、孔子の言や『大学』などを引用しながら、「正心」の重要性を説きながら以下のように述べている。

忍びの方術は私欲のためではないのであって、無道の君主のためには謀を行うべきではないことを知っておかねばならない。もしこの旨に背き、私欲のために
忍術を行い、無道の君主を補佐して謀を行うときは、例えばいかなる陰謀を巡らしたとしてもその陰謀は必ずや露顕するに違いない。もし露顕しなくて一旦は利潤があったとしても、ついには自身に害が及んでくることは必然の道理である。慎まなければならない。

「正心」を大切にする伊賀忍者特殊軍団 阿修羅の浮田半蔵さん

そして、次の三つの忍歌を載せている。

忍びとて道に背きし偸せば 神や仏のいかで守らん
(忍びだからといって道に背いて盗みをしたなら 神や仏がどうして守ってくれるだろうか)

ものの士(ふ)は常に信心いたすべし 天に背かばいかでよからん
(武士は常に信心しなければならない 天に背いたならばどうしてよいだろうか)

偽りも何か苦しき武士(もののふ)は 忠ある道をせんと思わば
(偽りを行うことも武士はどうして憚られようか 忠である道を実行しようと思うのならばそれでよいのである)

「正心」という心が忍びの根本であり、この心がなければどのようなことも成し遂げることができない。根本の心がしっかりしていなければ、どのようなことをなそうと思ってもうまくいくことはないのである。そして、「忠」という心持ちがあれば、相手を欺くこともよいとする一方、無道の君主に尽くすことはあってはいけないとしており、どのような君主に尽くすかは自己の判断によると言えよう。

忍びの術を私利私欲のために使用したなら、必ずやそれは自分自身に降りかかってきて、自らの命も危うくなるに違いないと警告している。どのようなところにも容易に侵入できる術を身につけた忍びにとって、城や宅内にある財宝を盗み取ることはお手の物であろうが、そうしたことをしたならば、忍びの本道からは逸脱することになってしまう。「お天道様が見ている」から悪いことはできないという考え方は、今でも日本人の中に生き続けている考え方と言えよう。

何が正しくて何が正しくないのか。絶対的な正義があるわけでなく、絶対的な悪もあるわけではないので難しいが、それを決めるのは忍び自身ということであろうか。自らさまざまな判断が求められる忍びは、高度な倫理観をももっていなければならなかったのである。

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