第8回 『忍術とは何か』

 
忍者の聖地 伊賀

第8回 『忍術とは何か』

三重大学人文学部 教授 山田 雄司

 忍術とはどのような術を指すのだろうか。『日本国語大辞典 第二版』(小学館)には、

詭計(きけい)、変装、速歩、跳躍などを用いて、相手の形勢を観察したり、放火、殺人などの目的で他国や他家などに入り込む術。乱波(らっぱ)、透波(すっぱ)などの忍びの技法から発達したもので、安土桃山時代以後盛んとなった。五遁(火遁・水遁・木遁・金遁・土遁)、山彦、陰中陽などさまざまの術があり、甲賀流・伊賀流にはまた独自の秘術があった。隠形(おんぎょう)術。忍びの術。忍法。

と記されている。これを読むと、変身したりさまざまな道具を用いたりして侵入するために忍びが用いる術を忍術として説明していることがわかる。

 一方、十七世紀後半の甲賀の忍びである木村奥之助の口伝を門人である尾張藩藩士で兵学者である近松茂矩(ちかまつ・しげのり)が筆授した『甲賀忍之伝未来記』では、忍びの術について以下のように記している。

形ヲカクシ、姿ヲ化ケ、池沼ヲ渡リ、河海ヲコシ、壁ヲノリ、門ヲ入ルノ類モ忍ノ一術ナレトモ、ソレハ至テ末々ノ事ニテ、実用ニ立事希ニシテ、大功立難シ、唯専要ハ五間ノミナレトモ、コレヲ詳ニ伝ヘル者ナキユヘ、一派ノ者ノ内、志アル者モ末ノ小業ノ秘術密法ヲノミ忍ノ大事ト思フユヘ、此末々ニ至リテハ、猶々忍ノ術チヒサク狭クナリ行ン事必セリ、

 形を変えたり道具を使ったりして忍び込むことも忍びの術のひとつではあるけれども、それは末端のことであって、実用に立つことはまれであって大功はなしがたく、最も重要なのは「五間」であるとしている。

 近松茂矩『用間加條伝目口義』には、五間すなわち「郷間」「内間」「反間」「死間」「生間」の五種類の間諜を共に使いながら、その諜報活動を敵には知られないこと、それを「神紀(神業)」と呼ぶのであり、それは君主の宝であると書かれている。そもそも「五間」とは孫子の兵法に記される用語で、「郷間」とは敵国の村里の人を間諜として使うものであり、「内間」とは敵国の役人を間諜として使うものであり、「反間」とは敵国の間諜を寝返らせて間諜として使うものであり、「死間」とは偽りの作戦を外に漏らし、味方の間諜にそれを知らせ、敵国に送り込んで偽情報を伝える者のことであり、「生間」とは、生きて帰れない「死間」と異なり、生きて国に帰って敵の情報を伝える者だと記されている。

 延宝四年(1676)藤林保武によってまとめられた忍術書の集大成である『万川集海』「忍術問答」では、忍術は軍法の要であり、この術を用いなければ敵の計略を知って勝利を得ることができないとしている。そして、忍術について説明を加えている。

『万川集海』忍術問答(国立公文書館所蔵) 写真

『万川集海』忍術問答(国立公文書館所蔵)

敵ノ堀端柵端マテ近々ト忍ヒ行、其様体ヲ見聞シ、或ハ城中陣中エ忍ヒ入テ、万ツ模様陰謀密計等マテ審カニ聞審ニ見テ主将エ告知ラセ、方円曲直ノ備ヲ定メ、能ク使奇正而征伐敵徒セシムル者、忍術ノ所以成ナリ、

 敵地に侵入して様子を探って情報を得、それを主君に伝え、敵を倒す道を開くのが忍術だとしている。すなわち、忍術とは諜報活動に要するさまざまな術を包含した概念とするのが適当であろう。

 さらには、菊岡如幻『伊賀旧考』では、「伊賀忍術ノ事」として以下のように記している。

往昔モ伊賀ノ郷士等、竊盜(シノビ)ノ法ヲ嗜トイヘトモ一流ヲ立ルマテハ不レ及、尓ニ百七代正親町院ノ御宇ニ至リ、光源院義輝将軍ノ時代ニ支葉武将ト云侍、忍術兵法ノ達人ナリ、伊陽ノ族、甲賀ノ輩十一人一味シテ支葉ヲ師トシテ忍術ノ法ヲ習得テ末世ニ流義ヲ残ス、

 この後には野村の大井(大炊)孫太夫以下十人(一人は名前を記さず)の名を記していて『万川集海』との関係性もうかがわれるが、伊賀においては「忍びの法」が以前から行われていたが、室町幕府第十三代将軍足利義輝の時(16世紀中葉)から忍術流派が起こったとしているのは興味深い。

 

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